パパのブログ

パパが独学で行政書士試験に合格します。

資本主義とは限りある資源を取り合うゲームである

世の中にある資源は限られています。

石油、食料、鉄、etc...

円安やインフレと騒がれている昨今ですが、流通するモノが減って資源の価値が高まれば貨幣の価値が下がるのは当たり前のこと。貨幣とは、モノと交換するためのものに過ぎないのですから。

ですから資本主義なんて難しい言葉を使ったところで、結局は『限りある資源を取り合うゲーム』にすぎないと私は思うのです。

 

「資本主義って本当にいいの?」

と考えることが増えました。

 

ロシア、中国、北朝鮮という日本にとって脅威となる国が社会主義寄りなため、相対的に資本主義が評価され過ぎているように感じます。世界の多くの国が資本主義の体制になりましたが、それで得してるのは一部の先進国だけです。ヨーロッパを中心とした先進国がアフリカ・アジア圏の後進国を安い賃金で働かせて儲けている。やっていることは植民地時代と大差ありません。

 

ただ不思議なのは、経済的に得してるはずの先進国でさえ、国民の幸福度は低かったりすることです。その理由は、国民一人一人に焦点をあてたときに、経済的に豊かになる代償として労働に多くの時間をとられ、苦労して稼いだ賃金を贅沢品や便利品に費やしてしまっているからです。例えば、高い家賃、人より良い車、外食、家電等。それは一見生活が豊かになったように感じるかもしれません。しかし、むしゃらに働かないと生きていけない状況に自らを追い込んでいるようなもので、間違いなく心の余裕はなくなるでしょう。

 

私はお金よりも時間に価値を感じます。

お金で時間を買うことはできません。

それに対し、時間がさえあれば、労働でお金に変換することができます。

それに時間があれば、お金や資源を節約することができます。

 

例えば、、、

外食の代わりに手料理を作れる。

掃除機を買わなくても雑巾掛けできる。

食洗機を使わなくても手洗いできる。

ポン酢を買わなくても自作できる。

車でなく自転車や徒歩で移動できる。

 

私がこんなことを考えるようになった大きなきっかけは、あるアフリカ民族について書かれた『本当の豊かさはブッシュマンが知っている』という書籍です。ブッシュマンというのは近年まで狩猟採集を続けていた民族です。彼らは労働どころか農耕牧畜すら行わず、生きるために必要な食料や物資は全て自然から得て暮らしていました。そして狩猟採集に費やす時間は、現代の労働者に比べ極端に短く、時間的余裕があったというのです。しかし、ヨーロッパ人の進出により農耕牧畜を強いられることになるのですが。

 

私たちの多くは、資本主義社会しか経験していません。そのため、資本主義が当たり前になってしまっているような気がするのです。

 

冒頭で申し上げたとおり、私は、『資本主義とは資源を取り合うゲームにすぎない』と思っています。その中で人より贅沢な暮らしをしようとしたら、方法は2つしかありません。1つは、人より働いて時間を犠牲にする方法。もう一つは、他人に損をさせて自分が得する方法です(他人を安い賃金で働かせる、顧客を騙して高い報酬をもらうなど)。

 

そんな資本主義社会でも、まっとうに、楽に生きたいと私は思います。そのためには、人より多く資源を取ろうとするのでなく、あえて最低限の資源で生きるよう努めることが大事だと思っています。